学術論文がgeneral publicにとってaccessibleでないのは問題だと思う

学術論文へのアクセスの話なのだが、つい自分の関心に引き寄せてしまうわけで。

第一に、結果を秘匿せずに全ての結果を一般に公開するようになった事こそが近代学術の発展を促した。結果を公開する事によって知識を前提に知識を積み上げたり、間違いを指摘しするダイナミズムが生まれた。いやむしろ、公開は学術を促したと言うよりは、これが近代の学術の定義であり本質そのものといってもよい。従って成果は公開されるべきである。

オープンソースの益も一緒だろう。

そして第二の理由は現代の学術研究の大半は税金によってまかなわれており、知識が全ての納税者に還元されるべきだからである。

IPA に未踏の成果をオープンソース化することを薦めている人達は同じ考えかな。

18世紀からコピー機が普及するまでの間、学術出版社たちは学術論文を多くの人に公開する為に最善の存在だった。我々はすでに反対向きに考える事に慣れてしまったが、コピー機ができるまでは最善のコピー法は印刷をする事だった。だから出版業者は情報を広くコピーし配付するための最善の存在であった。そして出版社に著作権を譲り渡す習慣は、著者に許可を得ずにコピーを量産できるために、general publicに情報を広めるための良い習慣であった。

copyright が腑に落ちた。いや、レッシグの著作は読んでるんだけど。


引用よりコメントが少なくてごみんね。(そういや青い車っていつ公開された?)