例え話をは読む側が意を汲もうよ

たとえ話をする時の注意点」を読んで。


昨今、例え話が槍玉に挙がるのは、例え話自体が問題を孕んでるのじゃなくて、コミュニケーションの形態が変わったせいだと思う。簡単に言うと、ウェブ時代になって例え話をする側が想定してないバックグラウンドの読み手ができたということ。


例え話は、アレの理解がない相手に向けて、アレに似ているものを用いて、理解の助けのために差し出すものだ。今までのコミュニケーションだったら、話す相手が特定されていて相手に合わせて例え話を作ってきた。反応が悪ければ別の例えを持ち出して、即、軌道修正ができたわけだ。ウェブでは無理だ。誰に読まれるかわかんないし非同期だから。


もちろん今までも不特定多数の人々に例え話をする人々はいた。文筆業の人々とか(それでも雑誌や書籍のドメインが分かれているから不特定多数ではない)。それらの人々は誤解を招かないよう注意深く書く訓練をしているはずだ。
一般のブロガーや日記書きにそっちの方向へ啓蒙するのも結構だが、私はあまり気が乗らない。ブログや日記は拙速脳内ダダ漏れパーソナルな言葉も魅力だと思うのです。洗練されてない文章はウェブじゃなくても読めるけど、洗練されて無い文章はウェブでしか読めないのですよ!


なので、私は推すのは、書く側が推敲を重ねるんじゃなくて、読む側が意を汲む方。というか、これってコミュニケーションの基本だよね。書く側は一応わかりやすいと思って書いてるわけだから。ハンロンの剃刀「無能で説明できる現象に悪意を見出すな」……を持ち出そうと思ったけどちょっと違うな。


まぁ、書く側が気をつけるなら、差分を明示するんじゃなくて、ポイント(どの範囲まで有効か)を明示する方が大事だと思う。たとえ話で、あるポイントでのみで似ていて他は似ていない、なんて了解事項でしょ? そのものじゃないんだから。


ウェブ時代のコミュニケーションの変容として、良い方向には、

  1. 多様な読み方を意識して書き手の文章能力が上がる
  2. 多様な考え方を許容して読み手が寛容になる

が、あると思うのですが、私は2番目になって欲しいなぁ。


考えてみるとウェブ時代のコミュニケーションっておもしろいよね。「スルー」とか非ウェブでは多用されてないはずだし。