開放的・閉鎖的
結城さんが Haskell の勉強を始めた。そのこと自体は何も問題ないんだけど、Haskell という一般名称のグループを一人で占有してることが気になる。g:naoya みたいなものだったらわからんでもないけど。はてなはネットの一部に過ぎないけれど、それでも万単位のユーザーがいる。これから Haskell が盛り上がってもはてなグループを作ることは叶わないということだ。ネットは早い者勝ちなんでしょうがないっちゃしょうがないんだけど。
話はちょっとずれるけど、最近、誰にでも門戸が開かれていないことで、嫌な感じになるものがたくさんある。
- g:sicp を結城さんが独占してること(これは場所が悪い)
- g:haskell を結城さんが独占してること(これは場所が悪い)
- はてなリング scheme に入るのにわざわざ id:higepon の許可がいること
- 東京 Rails 勉強会の ML に参加するのに 井上さん の許可がいること
- Ruby 関西の重要な内容が非公開なスタッフメーリングリストで議論されること
- ソフトウェアテスト技術者 ML が許可制なこと
許可制のやつは、一応、通知が来れば誰でも受け入れるという形だが、もっと手軽な・誰でもすぐに参加できるようにする方法があるにも関わらず、わざわざ人を通すことを選んだわけだ。
理由は大体推測できるし、実際に知っているのもある。それでも敢えて「なぜ?」だ。何を恐れているのだろう?
なんでこんなに腹が立つのだろう? あまりこういう意見が見られないので他の人は余り問題と感じてないのだろう。自分が良くわからない。学校の友人関係の階層化みたいだから? 占有・独占が? 他人を信用してないように感じるからだろうか? これかな。
人を信用しないことで、自分の・他人の・コミュニティの・コミュニケーションの・コラボレーションの可能性を閉ざしてるように感じるから、苛立つ。せっかく距離と時間の問題は解決してるのに。せっかく物理的な暴力から隔てられてるのに。時間がかかるのか、揺り戻しか、私があさっての方向を見ているのか。
自分でも良くわかってないけど、とりあえず書いてみた。