たまごっち

たまごっちは一時期廃れたので今更何をとおっしゃる方(私)がいると思いますが、よーく考えてみるとお世話モノというジャンルは連綿と続いていて、「どこでもいっしょ」(AA)や最近では「Nintedogs」(AA) のヒットが思い起こされることと思います。その他にも育てゲーと呼ばれるものは数多くありますが、携帯デバイスと込みで考えるとこの三者が代表といって良さそうです。


あ、呼ばれた。今ウンチ流してます。失礼。


えーと、3者に共通する部分は良いとして、共通しない部分に「死・別れ」の有無があります。たまごっちは死も別れも両方あり、どこいつは別れオンリー、Nintendogs はなんと両方なし! Nintendogs の死に対しての考察は他の方に及ぶべくもないのですが、1つ私が言いたいのは、幼い子供でも「死・別れ」を噛み締めている、別の言い方をすれば「楽しんでいる」ということです。


たまごっちでは、お世話を怠って頻繁に病気になったりすると死んじゃいますし、子供ができると親は1日だけ一緒に暮らし夜にはたまごっち星に帰ってしまいます。ウチの子供も1回の死と1回の別れを経験しています。
昨晩たまごっちは眠ってしまったのに(8〜9時に寝てしまいます)、まだいじっているので声をかけたところ、[たまごっち手帳]->[おもいで]->[ファミリー] で本星に帰った先代のデータを見て懐かしんでいたのでした! 幼い子供がノスタルジー&喪失感ですよ! 死んでしまったたまごっちも思い返しては喪失感を満喫しているようです。私もどこいつで遊んでいたことがありますが、やはり別れこそがメインイベントだったと感じます。
悲恋映画を見るのと同じ心境でしょうか。私たちは「死・別れ」を「楽しむ」ことができます。バーチャルな死・別れの体験は心の健康にどう影響を与えるのでしょう? 任天堂の判断は正しかったのでしょうか?


ちょっと話が変わりますが、年長組対象の「こどもちゃれんじ」ではオジギソウの育成セットが付いてきます。注目すべき所は全く同じセットが数ヶ月後に再び配布されるということです!
ウチの子は1回目は世話を怠り枯らしてしまいましたが、2回目は見事天寿を全うさせました!(猛暑で日に焼かれてしまったのですが、子供の育て方に手抜かりはありませんでした。) 1回目の失敗で喪失感が深く心に刻み付けられたようです。何よりベネッセは1回目に失敗することを完全に読んでいます! 舌を巻きました。この方法はバーチャルではないですがインスタントな死の提供に他なりません。しかしながら良い影響を与えたというところが何とも言えない深い味わい。


長々と書きましたが、要するに任天堂は「教育工学」をくぇdrftgyっふじこlp@。
nintendogs 柴&フレンズnintendogs 柴&フレンズ